デスクトップを整理していたら、はじめて国立ハンセン病資料館に行った時のメモを見つけた。

ファイルで保存しておくのがうっとうしいので、こちらに書いておこうと思う。

2023年12月10日

国立感染症研究所のところだった。 コロナに関するニュースで何度か見ていた。 現在もハンセン病の方が療養してらっしゃるということがわかった。

差別は、異なりに対する恐怖が、その温床であると思う。 異なりについて理解しようとせずに。 異質なものに対する、不理解と不寛容。 「知らない」が無意識的にも、差別と大変仲が良いこと。

そう思うと、自分がハンセン病について知らないというのは、それだけでやや危険なことに思える。というか加害の立場なのだ。眠い。

来場アンケートには、「来る前とどのような変化がありましたか?」という問いがあった。 じっくり考えたいと思わせる問いだった。

常設展示から見た。 ハンセン病ってどんな病気なのか?という平易な説明から入り 歴史的な概略を押さえられる常設展示1。

いわゆる教科書的な語りで、ハンセン病の歩みを俯瞰する。 どこにも足を置いてないような浮遊したあの感覚は、やはり教科書としか言いようがない。 どうしようもなく、他人事化してしまう、あの語り。 だから、途中から違和感を持った。 けれども、ハンセン病博物館が、差別や偏見の根絶と遺族の名誉回復を目的に資料館をしていることを鑑みると、とてつもなく妥当な内容だった。

明らかに、はじめて来る人向けの語りである。 ハンセン病を知らない人に向けて、書いている姿勢の徹底を感じられた。 これほどまでに、目的と内容が一致している資料館ってあるだろうか?と思うほどだ。

概略的に押さえるということが主眼に置かれているので、細かい歴史のことは学ぶことができなかった。

癩病は古くは、日本書紀?に記述があるらしい。 おそろしい見た目から、不治の病などと思われ、偏見まみれだった。

私が気になったのは、癩病が個人に起因する(宗教心の不足とか書いてあったの面白かった)と観念されていた時代から、家制度が始まって家の概念が根強くなっていくと「血統の病」と観念され、家族ごと偏見と差別の対象になった。その家族は、自ら被差別部落へ行くことを余儀なくさた。という文章。 水平社運動とも関わってくるので、とても気になった。 あとは断種のことも、断片的にしか書かれておらず、深い理解にはつながらなかった。