有名映画「ノッティングヒルの恋人」にこんな台詞がある。(正確でないが、大体)

They are just breasts! 「たかがおっぱいになぜそんなに夢中なの?」

アナ(女性)がウィリアム(男性)に向けて放つ言葉。 全くもって同意だ。おっぱいの何がそんなに特別なのだろうか。 聞いてみたこともあるが「母乳を飲んだ赤ちゃんの時の安らぎがきっとうんぬんかんぬん」と言われ、よくわからなかった。多分一生わからない。 特に身体的に男性である人からみたおっぱいの世界は、本当にわからない。 . . .

SNSのフィルターや、プリクラと並ぶ詐欺だと思っているのは、おっぱいだ。 おっぱいはマジで詐欺の世界だと思う。

あなたたちが見ているおっぱいはSNSの写真より嘘よ!!なんて声高に叫んで、誰かを幻滅させたいわけではない。夢は持とう。

ただ、おっぱいの詐欺性というか。 おっぱいの虚無性みたいなものについて、ただただ無性に言語化したくなったのだ。 あまり語られたことがない気がするから。

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おっぱいは、いろんな側面において象徴的存在だと思うのだが 特に性的な意味においては、特段「大きさ」が取り沙汰されるように思う。

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はあ、しょうもない。 こんなしょうもないことを、無性に言語化したくなっている。 安田理央『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』という本があるくらいだ。 それはきっと、資本主義とか性の商品化の流れと切り離せなくて、おっぱいの大きさにまつわるポリティクスと呼ぶにふさわしいだろう。

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今ふと思ったけど、大きさに加えて、おっぱいの状態?を表す言葉も多い。 巨乳、爆乳、貧乳、美乳、ペチャぱい、乳房、垂れ乳、、、 すぐに思いつくだけでも、7種類のおっぱいを表す言葉がある。 日本は雨に関する表現が豊かで『雨のことば辞典』なんて辞典があるくらいだが、それのおっぱい版もできると思っている。 それくらい、人の関心が寄せられてきたということだろう。

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話が逸れてしまった。 大きさのポリティクスも、おっぱいにまつわる言葉も、またそれぞれ回を改めて一本の論考が書けるくらいのテーマだ。

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私は、今回はおっぱいの詐欺性を書くのだ!!!! だが、これを書くには、やや生々しい告白が伴う。 生々しい告白というか、内面の公開。

「どこからが差別か?」的な議論の時にいつも私が持ち合わせている答えとして、 「自分の中だけで考えたり思う分には、何を思ったって個人の自由だと思う。ただそれが、言動に現れたらあかん」という立場だ。 でも人間、自分の中だけで思っていることが、鏡のようにちょっとした言動に出るもんだよねとも思うので、簡単に切り離せないけど、あえて言明するならそういう立場だ。

何を言いたいかというと 私は他者の身体も自分の身体も尊重したいし、ボディポジティブな世の中であったら良いなと思うので 身体に関して、ジャッジするような言動は避けるように気をつけている。 今回の話で言えば「おっぱい大きいね」「小さいね」「垂れてるね」とか。

こういう話をすると「え?おっぱい大きいね!は、褒め言葉でしょ!もう何も言えないな〜」と言い出す人が一定数いるが、こういう人にでくわすたびに「はあああああああ」と深いため息が出る人、この指とまれ!

ともあれ、今書こうとしているのは、私が「自分の中だけで何を思っているか」に触れることなのだ。 だから生々しくもあり、おそらく暴力的であり、それはフーコーが論じるような、視ると視られることの権力関係を、自ら暴くような行為なのだ・・・。ああこわ。 あと、この文章は以下にセクハラ表現を含むので、きつい方は閉じることをおすすめします。